火曜日, 10月 30, 2007

勉強する世の中と勉強しない研究者

 写真は近所の白滝という呉服店。[link] 創業は嘉永6年(1853年)で、都内で一番大きな呉服店なのだそうだ。「勉強する世の中」と書かれている。「勉強する」とは「まける」という意味だろうが、思うように研究が進んでいない僕の目には象徴的に映った。僕はここのところ、文字通り「勉強していない」。
 工学系の審査員相手の面接や動物行動学会での発表以来、自分の話が通じないのは何故なのだろうと本当に悩んでいた。昨日、BSIの10周年記念イベントで説明員をしていて、その理由がわかったような気がする。「そうか、(悪気なく)はなから興味がないのだ。」 だから、どんなに「僕はこれが知りたいんだ」と熱く語ったところで、聞いた人たちは「、、、で?」という感じなのだ。ならば方針を切り替えて、相手の興味の土俵に入りつつ、でも自分の主張を述べられるように苦心しなくてはならない。その努力を怠れば、まったく実りのない時間を過ごすことになる。
 境界領域で踏ん張るのが自分の立場だと覚悟を決めのだから、それをやるのみだ。そのための心技体を地道に鍛えないと。プロ野球選手ですら毎日の素振を欠かさないのだから。

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