月曜日, 10月 20, 2008

政治の変えるの猫

我が輩?
名前は無い
歳?
わからない
まぁ
今年で2,3年目
みたいな
なんか
飼い主
いるみたいな
ってか
居ないわけ
無いし
ワラ
 今年の日本ケータイ小説大賞に選ばれた「あたし彼女」を遅ればせながら読んだ(Link)。おじさんたちが読んだら、「最近の若者の日本語は乱れている」と深くため息をつくだろう。しかし、僕は面白いと思った。それは内容にではなく、ことば遊びのダイナミズムを感じることができるからだ。
 ことばは使用者の意図とは無関係に勝手に動き出してしまうことがあるような気がする。ことばの自律性とでも呼べるようなものだ。それに人は踊らされて、上のような即興模倣まで出現する(上記は2chより引用)。チョムスキアンならば、文法にその理由を持って行くのだろう。よく知られている例はこれ。
Colorless green ideas sleep furiously.(色のない緑の概念たちが猛烈に眠る)
 意味などなくても文法的に正しい文はいくらでも作れるという文法の自律性の例。でも、あたし彼女に見られるようなことばの自律性は、これとは違うところから来ていると思う。でも、どこから?ことばって難しい。写真は大学の帰りによく会う猫。政治変える猫。文法的に間違っているけど事実として正しい表現。またひとつおじさんのため息が聞こえそう。

0 件のコメント: